1 実践の概要
6年生社会科「15年続いた戦争と平和を目指した日本の再出発」という単元で、地域教材を活用した授業実践を行った。児童が地域から歴史を考えることができるように単元を再構成した。単元構成は以下のとおりである。
1次 忠魂碑で知る15年戦争
2次 アジア諸国と日本~戦争の広がり~
3次 上関地区と15年戦争
4次 空襲の恐怖と疎開
5次 日本の敗戦
6次 日本の再出発と上関の教育・暮らし
6次では上関小学校校歌を活用した。今も歌われるこの校歌は、終戦後2番が歌われなくなっており、当時の平和を目指した国民生活をよく表している。また、自分の通う学校の校歌という点で児童の興味を大いに引き、戦争から平和へと転換する時代について学習を進める上での核となった。
2 単元を貫く地域教材の活用
大単元(「戦争から平和へ」)を貫く地域資料を準備できたことが、児童の学びを支えたと考える。また、前単元(「2つの戦争と日本・アジア」)から引き続いて、地域に残る戦争の跡と当時の世界情勢や歴史事象を関連付けて学習していったことで、児童は学習活動に深く入り込むことができた。
「実際にあったこと」「自分たちの地域も関わっていること」として歴史事象をとらえ、これからの平和な社会の主体であるという気持ちをもたせるように単元を構成した。これにより、中央史的な事象を児童の身近に引き寄せることで、表面的で浅い理解からより深い歴史理解へと児童の学びの質を変容させることができた。
3 児童の思考の流れを追う授業構成
単元における児童の思考の流れを明確にするために、毎回前時の児童のふり返りから授業を始めた。ここでは、ふり返りシートを活用したり前時の板書を撮影して配布したりすることで思考の共有を行った。提示する資料も児童の思考に合わせて少しずつ提示方法を変えたり提示のタイミングを計ったりした。単元における児童の思考の流れを掲示物を用いて視覚化した。
4 成果と課題
これらの手立てにより、児童の実態は次のように変化した。単元が始まる前は、戦争単元ということで「(日本が)勝ったか負けたか」に興味をもって感想を書く児童がほとんどであった。これは、前単元で主眼とした「欧米列強と比肩する国家へ変貌しようとする日本の歩み」に影響を受けていたと思われる。
それに対して本単元では、「戦時中の子どもたちの生活」や「平和な社会を目指す日本」を主眼として地域教材や外部講師を準備した。児童は「戦争中の生活の大変さ」「平和の尊さ」に気付き、平和を目指すことの大切さを作文に表すことができた。
本単元のねらいは、歴史的事象を児童が実感として理解することであった。その手立てとして、地域教材を活用し、歴史的事象を児童の身近に引き寄せることに取り組んだ。地域の教材から考え、戦争をより身近なものとしてとらえ、人ごとでなく自分自身のこととして平和な社会の構築を目指そうと児童一人一人が思い、考えることができたことは大きな成果であった。
また、本単元では、学習形態を従来の黒板前に集まる形態で行い、自由に話しやすい雰囲気作りを行った。これにより、児童の関わりが活発になった。1人の児童の考えを全員で広げたり深めたりしながら学習が進んでいった。友達と関わることで思考が深まったり多面的な視点を得ることができたりし、戦争や平和について自分の考えをもつことができた。
また、児童が自分の考えをもつための手立てとしては、外部講師との連携が挙げられる。本単元では、戦時中に上関地区で少年時代を過ごした方を2人招いた。これもまた児童に多面的な視点から戦争について考えさせるためであった。事前に十分な打ち合わせ(1人に月2回以上)を行って授業に臨んだ。戦時中の年齢が違う2人の外部講師から戦争への思いを聞くことで、児童は戦争の色々な面を受け取ることができた。
課題としては、毎回の授業の中で児童に自分の考えを丁寧に整理させる時間を取ることができなかったことが挙げられる。振り返りや疑問に思ったことなどは書きためて次時に生かすようにしていたが、自分の心と向き合わせる時間を十分に取ることができなかった。戦争単元であるので、心の面も耕していくよい機会ととらえていた。結果として、国語との合科で時数を確保した形となったのだが、両教科ともに時数を圧迫してしまった。単元に入る前の見通しが甘かったと反省している。これは、予め国語との合科として単元を構成することで解決できるであろう。
5 地域教材一覧
・地域に残る忠魂碑(1次)
・学校沿革誌(2次)
・外部講師1:満蒙開拓青少年義勇軍と上関小学校(3次)
・外部講師2:上関地区での空襲、長岡空襲映像資料(4次)
・外部講師2:戦後の上関での暮らし、当時の新潟日報、上関小学校校歌、終戦後の通知表実物(6次)