「差別は見ようとしなければ見えない。」ということは、疑いの余地はない。
昨今、あからさまに差別されることこそ表立って見ることはないものの、「私たちは隔てられている」と肌で感じると、すべての人に等しく備わっている権利を正当に主張することが難しくなる。差別は人間の精神をむしばみ、人間の尊厳を傷つける恐ろしいことだ。
私は、他児に対して差別をはねのける強く健康で強靱な精神を養わなければならないのだと決意し、どうするべきかを考え、それを実行しようと関わっている。その関わりの中で私が体感的に会得したのは、人権教育、同和教育とは「人が人を大切にする教育」に他ならないということである。
「人が人を大切にする」この微塵も揺るがない土台の上に「差別をはねのける強く健康で強靱な精神は培われるのだ」と考えている。私は関わりの中でこの事を学んだ。そして「差別をはねのける強く健康で強靱な精神」を育むには、「被差別部落に入ること」と「家庭訪問を行うこと」を継続することが重要であると確信している。