大手コンビニチェーン店Fが展開していた「〇〇さん食堂」が名称を変更した。手間をかけることなく母の手料理のような食を味わえるというコンセプトで、600を超える商品を好調に展開していた矢先である。女子高生が名称変更を希望して抗議、署名運動を展開したことが背景にあるようだ。男女平等に反する、性的差別を助長しかねないとの趣旨らしいが、賛否両論が起こっている。一方で、いきなりネットで署名を募ってしまう現代的手法に対しても批判があるようだ。
ところで、「私は人権感覚に優れている」あるいは「私は人並みに人権意識をもっている」と公言できる教員はどれほどいるのだろうか。世間では、「そんなつもりはなかった」と釈明や反省の弁を口にする例は、枚挙にいとまがない。「女性が発言する会議は長くなる」という旨の発言をした歴代首相しかりである。残念ながら、私自身もその例に漏れない。出した便りに対して「この表現は、障がい者を差別しているのではないか」と保護者から教育委員会へご意見をいただいたことがある。決してそういう意味で使っていたつもりではないのだが、結果的に学びの機会をいただいた。似たような経験を持つ人は、いないだろうか。
東洋大学教授の北村 英哉氏は、著書において次のように述べている。
「教師がこう教えれば、子どもはこうなる」という前提で学校教育は営まれています。ですが、心理学の見地からは、子どもはむしろ、意図的に教えられることよりも、大人の振る舞いからより多くを学んでいるのです。子どものけんかをどう仲裁したのか、身近な不正義にどう反応したのか、障害者にどう対応したのか、誰かをえこひいきしていないか、大人同士がいがみ合っていないか、大人がいじめをしていないか。(略)
子どものいじめを見て見ぬふりをする、みんなと足並みをそろえられない子どもに厳しく接する、担任の言うことに同調する子をえこひいきする、このような教師の振る舞い、態度も、差別に当てはまります。教師一人一人が、自分は「子どもたち一人一人を差別的に扱っていないか?」と毎日心に問いかけるだけで、学校から差別やいじめはなくなると私は信じています。北村英哉著『偏見や差別はなぜ起こる?』ちとせプレス刊
北村氏の論の通り、口に発することはもちろん、振る舞いや態度でも子どもたちに「教えてしまって」いることがあることは、この職に就いていれば誰もが経験し、納得できるだろう。
私たちの子どもたちへの態度、振る舞いの根底には、教育に関する知見と技術があり、そして子どもへの情熱や愛情がある。教師は、困っている子に必要とされ、逆に教えられることも大きいのだが、困っている子ほど教師の心を敏感に感じ取る。万が一こちらが負の感情をもっていたとしたら、あっという間に見透かされ、むしろこちらが突き放される。
私たちときわ会員は、「つねに厳しくみずから鍛え、相互に錬磨しあう者の集い」である。働き方改革が進む今だからこそ、教育に関する正しい知見や確かな技術を身に付ける不断の努力をするとともに、子どもへの情熱や愛情を、強く深く、変わることなくもち続けたいものである。
副支部長 阿部 潤(沼垂小 59年度)